院長の独り言 東北関東大震災中の私 忍者ブログ
孫栄金鍼灸治療院、院長孫栄金のブログです。 日常のできごとや、皆さんのお悩みにお答えできればと思います。
[17]  [16]  [15]  [14]  [13]  [12]  [11]  [8]  [6]  [5]  [4
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 311日午後246分頃、私が助手の遠藤さん(女性)と一緒に、二人の患者さんを鍼灸治療に施している最中に、治療院の建物が大変な勢いで揺れ始めた。日本は多地震国家とは言え、来日してから20年以上経って、これまでこんな強い揺れを経験したことはなかった。きっと、言われ続けていた宮城沖地震がやって来たかなと思いつつ、早く揺れが止まってくれることを祈りながら、助手と一緒に必死に二人の患者さん(中一人は半身不自由)をベッドから降ろして避難させようとした。身体不自由の患者さんは灸頭鍼を受けている最中で、燃えている艾に熱せられた鍼を大至急抜かなければならないと思い、素手で熱い鍼を最大のスピードで夢中で抜いた(地震が収まった後で分かったものですが、私の指には鍼の形にした火傷の痕が何本もあった)。揺れ始まって間もなく、照明が切れ、電気供給が止まったことが分かった。電動油圧ベッドを高い位置から降ろせなくなり、体重の重い成人患者さんを私と助手二人で抱きかかえて何とかベッドから降ろした。この間、治療院のあちこちから物品が落ちて来た音がしたが、どんなものが落ちたかを見る余裕はなかった。強い揺れはかなり長い間に続き、建物はガタガタの音がして、鉄筋の枠がねじ曲げられているような感じがした。我々四人はベッドの下に潜り込み、万が一建物が崩れたときに、ベッドが我々の命を守ってくれることを祈った。幸い、揺れが止み、我々は巨大地震から生き残ったのだという実感が湧いた。その時初めて周辺を見る余裕ができた。周り一面、落ちたプリンターや、アンプ、音響デッキ、額縁や、割れたガラス等々がいっぱい散らかっていた。
 携帯電話で、テレビをつけ、地震速報を聞いた。とてつもない巨大地震であったことが分かった。治療院の外に出て見ると、沢山の人々が恐怖極まりない表情で割れた道路や、斜めになった看板、破損した水道管から噴出した水柱をみて、互いに恐怖を語り合っていた。
 我に戻り、やっと家族の安否を思い出して、電話で確認しようとしたら、電話は固定携帯問わず、通じなかった。やっとの思いで、何とかメールの送信ができ、家族全員の無事を確認できたが、昨年9月に留学で来日したばっかりの甥との連絡が取れなくて一瞬恐怖のどん底に陥った。その甥は私の住んでいるマンションの近くの古いアパートに住んでいて、そのアパートがこの強烈な地震に耐えてくれたかどうか心配だった。
 震災直後から、電気、水道、ガスなどライフラインが全て止まり、携帯電話も固定電話もほぼ発着信全てができなくなった。我々震災地区の被災民が外部世界から一時孤立されたように見えた。
 私にとって唯一の情報源は携帯のテレビ放送で、そこから巨大津波の襲来により、仙台市の若林区や岩手・宮城両県の太平洋沿岸に壊滅的な被害にあったことが分かった。仙台空港は津波にやられて水浸しになったようだ。
 頭の上は防災ヘリコプターの轟音が響き、地上は消防車や救急車のサイレンがあちこち鳴らしていた。映画中でしか見たことのないアルマゲドンがやって来たのかと思った。
 交通信号も消えた。所々破損した道路を車で慎重に走り、3キロあまり先の自宅に戻った。無事であった家族の他に、安否の確認ができていない甥が家に居た。彼は揺れ始まった際に間髪いれずにアパートから飛び出した。みんなで再会することができ、感動で涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
 ライフライン全てが失い、私の治療院は勿論診療が当分できなくなった。私生活では、寒い暗闇の中で、一種のサバイバル的な生活が始まった。蛍光灯の代わりに蝋燭、停電で使えないファンヒーターの代わりに反射式ストーブを使い、照明や暖を取っていた。震災直後ではほぼ全てのお店が営業できず、食料品や生活用品、ガソリン、灯油全てが手に入らず、生活が不便極まりない。ガスがない為、炊飯や料理は、反射式のストーブの上に鍋とかを置いて、何とか最低限で間に合わせた。断水は大変で、家にあった数本のミネラルウォーターをすぐ使い果たしてしまった為、近所の避難所となっている小学校へ長列に並び、災害救援の給水車から貴重な水を貰って来た。日常を送るにあたって欠かせないお風呂や洗濯は、当分我慢しなくてはならなくなった。それでも、私と私の家族はまだまだ幸せの方だ。亡くなられた方々は言うまでもなく、家が破壊され、避難所で暮らしている方々の辛い暮らしを思うと心が痛む。
 日本国民と日本政府が一体になって、更に国際的な暖かい援助の励ましもあって、現在、震災復興に総力を挙げている。我が家も、幸いにも震災後3日目に電気が復旧、6日目の昨日には水道も復旧され恵まれた環境となった。
 甥は中国政府の専門チームが手配した留学生救出オペレーションで、先程、新潟行きのバスに乗った。そこからチャーター機で中国へ帰国する予定だ。甥は、我々との別れを惜しみつつ、落ち着いたら、また愛する仙台に戻ってくると言ってくれた。
 M9.0の地震は凄惨そのものである。しかし、忍耐強く、勤勉な日本国民が、国際社会からの暖かい支援もあって、きっとこの未曾有の大災害を乗り越えられることを願い、この忘れられない恐怖の記憶をこの文に記す。
 3.11東北関東大震災の犠牲者全員に、ご冥福を祈る。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
MAIL
URL
コメント
PASS   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
07 2026/08 09
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
フリーエリア
最新コメント
[12/07 かつて腰痛でお世話になりました]
[08/22 すず]
[08/22 すず]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
孫 栄金
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析
material by:=ポカポカ色=
忍者ブログ [PR]